石屋 幸児の日記

いい墓地・いい墓石に関する情報、石に関する知識、
イベント開催の情報など、三代目山田幸児が日々綴っていきます。

お墓の歴史知っていますか?

日本でも古く縄文時代から死者を埋葬する習慣がありました。
弥生時代になると甕棺(かめかん)、木棺(もっかん)、石棺(せっかん)などにご遺体を納め、埋葬されるようになりました。


古墳時代に入ると、その名が示すように巨大な古墳が数多くつくられるようになりました。
これは、一部の支配者の権力を誇示するために巨大化していったといわれています。代表的なお墓は、大阪にある仁徳天皇陵の前方後円墳です。p_01

その後、大化の改新で「簿葬令(ぼそうれい)」という詔(みことのり)が出されます。
これは今までのお墓づくりに莫大な規模の費用をかけ過ぎたことへの戒めとして、墳墓(ふんぼ)の規模や葬儀の儀礼を縮小簡素化するためのものでした。
これにより身分ごとにお墓の規模や工事に携わる人数、工期日数また葬具などを細かく規定したといわれています。
しかし、一般民衆のお墓はというと、共同の埋葬地に土葬をし、その上に盛り土をしたり、手頃な石を置いたり、木の杭を建てていたようです。

平安時代に入ってからは、一部の特権階級ではすでに石を加工し、お墓を建てていたことが書物からも読み取れます。
鎌倉・室町時代には仏教が広く普及し、戒名や位牌(いはい)などの習慣も取り入れられました。
この頃の日本のお墓の形は「五輪塔(ごりんとう)」と呼ばれるものです。

五輪塔
五輪とは仏教では宇宙のすべてを形成する五大元素(地・水・火・風・空)を指します。
「人が亡くなると肉体は五大に還元し、死者を成仏させ、極楽浄土へ往生させる」という教えをもとに模(かたど)られた五輪塔は仏教的な意味を持つ歴史あるお墓の形といえるでしょう。
現在、多く使用されている一般的なお墓の形である角柱の三段墓は、江戸時代中期から普及した形です。

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また、江戸時代になると檀家制度が敷かれ、ご先祖様に対するご供養やご葬儀・お仏壇・お墓などの仏事が生活の中に定着し、庶民の仏教に対する信仰が確立しました。
明治維新により、檀家制度は法律上での根拠を失いますが、庶民とお寺の結びつきは強く、仏葬(ぶっそう)も引き継がれ現在に至っています。また、明治時代になると都市への人口が集中したこともあり、東京の青山霊園をはじめ、大正時代には多磨墓地(現在の多磨霊園)など大きな霊園もつくられるようになりました。

このように、お墓の形は様々に変化してきましたが、何千年も前から死者を埋葬し、ご供養する形は変わっていません。
ご先祖様を敬い、生きている人の仕合せを願うお墓は今も私たちの暮らしの中に存在しています。


2017年1月13日