近年は墓地は新しく造成できない時代へと変化していっています。つまり墓地不足が現状です。
富山市の中でも世帯数が多い地域新庄方面にお住まいの方で墓地を求めようかお考えの方は必見です!
井戸水がでる施設もあり隣には休憩所があり金額面では墓地永代使用料+基礎後期費用込で¥456,000円(3.8平米)です。
残り一区画ですのでお考えの方はお早めにお問い合わせ下さいませ。
http://yamada148.jp/machinaka/shinjo/
お問い合わせ先 (有)山田清次石材店 076−451−0313 代表 山田幸児 まで
2017年4月8日
富山県は非常に浄土真宗(東本願寺 西本願寺)の宗派の方が非常に多い土地柄です。
皆様のご自宅やご実家にもお仏壇があると思います。
では、お仏壇の正しい場所や設置する向きって知っておられますか?
お仏壇の場所や向きにはきまりはありません。
浄土真宗の仏さまは阿弥陀如来で、お浄土は西方極楽浄土です。
かつては、お仏壇を東向きに置き、西方に向かってお参りをした方が多くいらっしゃったと聞きます。
浄土往生を強く願い、西方の極楽に思いをはせたのでしょう。
確かに阿弥陀如来は極楽浄土の主ですが、仏さまは自由自在で、いつでも、どこでも、どなたにでも、はるか彼方にいながら、すぐ側にいらっしゃるのです。お仏壇をどの向きに置こうとも、仏さまは常に私たちを見守って下さいます。向きや場所が問題なのではなく、家族みんながお参りすることが重要です。
もちろん、湿気の強いところや常に日陰の場所では、お仏壇も痛みやすいし、せっかくお供えした花もすぐ枯れてしまいますから、適度に日があたり、目の行き届く場所がいいでしょう。
2017年1月25日
毎日お仏壇に手を合わせる時や、お墓参りの際につけるロウソクについて詳しくご存知ですか?
身近な道具なのに、どうして仏事の際に使用するのか理由を知っている方は少ないです。
そこで今回は、意味を知って灯りをともしたいロウソクについてご紹介します。
ロウソクは古くから儀式に使われてきた
ロウソクの歴史は非常に古く、日本では天照大神を祀る太陽信仰のころから使われてきました。
今となっては、世界中で電気が普及し夜になっても明かりに困ることなく私たちは活動を続けることができます。
しかし、電気のない時代はロウソクが暗闇を明るく照らしてくれる存在として、丁重に扱われており寺院や宮殿などで儀式に使用されてきたのです。
その当時から、ロウソクの暗闇を明るく照らす力は邪気を払い除けるものとして、周囲を浄化して幸運を呼ぶ力があると信じられていました。
どうしてロウソクを供養に使うの?
ロウソクをお仏壇に供えたりお墓参りの際に使ったりするのは、以下の理由が挙げられます。
・不浄なものを祓って清めるため
そもそも仏教では、「火」を神聖な存在として扱ってきました。
ロウソクの灯りには、火によって周囲の不浄を浄める目的と、お墓やお仏壇の周りを明るく照らすことで煩悩の闇に光を当てる目的の2つがあります。
・ご先祖様との架け橋として
ロウソクの灯りには、ご先祖様と現世に生きている私たちを結ぶための役割も担っています。
お盆やお彼岸の時期に、迎え火を焚くのはご先祖様が道に迷わず、スムーズに現世に帰ってこられるよう場所を教えるためのもの。
また、お墓参りの際にロウソクを点けるのは不浄を祓うだけでなく、お参りに来た方々の顔を明るく照らし、ご先祖様に姿をよく見せるためでもあります。
何気なく蝋燭を点けるのではなく意味を理解して供養をしたいものです。
2017年1月19日
昭和40年代〜昭和50年代頃、お墓の土間の仕上げの材料といえば玄晶石を貼る事が流行でした。
その玄晶石も近年、どんどんと剥がれてきています。
はがれる原因といえば玄晶石自体が石が薄く軽い為に雨天時や特にこの冬場、雪が積もり気温が下がった時に基礎と石の設置面に氷が張り外れていきます。
対処法といえば一度、基礎から玄晶石を外し石を綺麗に洗い乾かしてから石材用の強力な接着剤で貼り直す事であれば業者に依頼をしなくても少しづつ行っていけますがもって5年程です。
数十年と剥がれないようにする為には玄晶石を全部外し、厚み2㎝〜2.5㎝の御影石を貼る事により頑丈かつ仕上げも綺麗です。
施工代は材料代+施工代で30,000円+消費税(1平米)でリーズナブルな価格で施工させて頂いておりますのでお客様にも喜ばれています。
蝋燭 線香 お花を供えお参りする事も大切なご先祖様への供養ですがこのような事もご先祖様に対する敬意の一つだと考えます。
どうぞ一度、皆様のお墓に足を運んでみて下さい。
気軽に【お問い合わせは】
(有)山田清次石材店 ☎︎076-451-0313
2017年1月16日
亡くなった人をお墓に埋葬する歴史は古く、日本各地に残されている古墳に見られるように、古代から始まっています。しかし、古墳は天皇をはじめとする支配者階級の人に限られていました。一般的には、死後は土に還すという意味合いから、遺体がそのまま放置される風葬や遺棄葬が中心でした。平安時代になって仏教の普及に伴い、上層階級には火葬にして骨を埋葬する風習が広がりますが、庶民は土葬が主で、まだ遺棄葬にすることもあったようです。やがて、庶民にも仏教が浸透するようになり、江戸時代になると檀家制度が確立されます。お寺との結びつきが強くなり、一般庶民も墓を建てるようになってきました。
最初は遺骸を木棺や桶に入れて土葬した上に霊魂を封じ込めることを目的として土饅頭を築いたり、石を置いたり、常磐木を立てたりというようなものでした。武士階級では、板塔婆とか石塔婆などを建て、これが近世の卒塔婆や石の墓標の原型ともいわれています。一般庶民にも石の墓標が建てられるようになり、最初は一人一基の個人墓がふつうでしたが、大正時代から昭和時代初期にかけて、墓地不足などの理由から庶民も土葬から火葬へと移行し、「○○家之墓」というような今日のスタイルになってきたのです。
大正時代から昭和時代の初めにかけ、都市に人が集中するようになると従来の寺院墓地や公営墓地だけでは墓地が不足し、広大な敷地に整然と区画整理された公園墓地が出現します。緑や草花が彩る閑静な公園の墓地は、死後の安らかな眠りが約束されたようで関心の高い墓地です。墓地不足がますます深刻化する現在では、民営の墓地が増え始め屋内墓所、納骨堂、地下式霊園などの新しい形態が登場。お墓事情が様変わりしています。
お墓は最後にたどりつく安住の地です。死後の早い時期にお墓を建てるのが望ましいのですが、法律的には「墓地として都道府県知事の許可を受けた地域の土の中に葬る」を守れば、建てる時期に制限はありません。多くの場合は開眼供養に親族が集まることを考慮して、四十九日や百か日忌、一周忌などの命日に建てるようです。また、墓地不足や経済的事情などですぐにはお墓を取得できない場合は、遺骨を菩提寺や納骨堂に預けたり、自宅の仏壇に安置しておきます。さらに、墓地を取得したものの、すぐにはお墓が建てられない場合は、とりあえずは遺骨を納めるカロート(納骨棺)だけを作って埋骨を済ませて、卒塔婆や墓標を建てて供養します。
最近、墓地不足の深刻化や”死”を身近な問題として考える人が多くなり、生前に墓を建てる人が増えています。これを寿陵と呼び、長生きできる墓とか縁起の良い墓ともいわれ、慶事として扱われるのです。寿陵には、戒名の字を朱書きにする習わしがあり、亡くなったら墨を入れ、朱を消します。寿陵の増加により、対応してくれるところは増えていますが、霊園によっては、遺骨がないとお墓が建てられない場合もありますので、事前に確認が必要です。
2017年1月15日